Arashi Blast in Hawaii

アロハ〜!
今日はちょっくらハワイにお出かけしてきましたよ。うそ。
本当は映画館に行ってきた。

嵐のハワイコンサートのパブリックビューイングのチケットが当たったのでーす♪( ´θ`)ノ
今回も嵐友に救われました。いつもお世話になりっぱなし。ありがとー!

実際に始まるまでは、流石に色々不安で…。中継とか盛り上がりとか色々。でも始まってしまえばなんてことなかった。最初から最後まで本当にハワイにいるみたいに楽しめたなー。
違いがあるとすれば、私がペンライトを持ってなくて立っていなかったくらい??笑。

多分、彼らは画面を越えて日本にもいたと思う。中継というだけでは伝わらない気持ちが伝わってきて、とても幸せな気分になれたから。例えるなら、初めて嵐のコンサートを観た時に味わった幸福感に近いかもしれない。


出来るだけ多くの人に幸せを伝えたいと思ってくれてありがとう。彼らは私達から幸せをもらうというけれど、私達は彼らから幸せをもらう。その交換が15年を支えたんだろうと思うから、これからも風になってあなたたちの背中を押していき、そばにいたいと思う。

おそるべしSMAPと福岡

おそるべし。SMAPと福岡。

今日、友達からのメールはその言葉で始まってた。おそるべし、SMAPと福岡。今、SMAPは二年ぶりのツアーを回っている。実は、私は二年前にこの言葉をつぶやいた。その話を友達は思い出したんだろう。

二年前。会社の人が福岡へ出張することになっだけれど、ことごとく宿が空いておらずに非常に困り果てていたことがあった。「なんでこんなに空いてないんや!??」その声はもう悲鳴に近かったことを覚えている。どれだけ探しても福岡市内の宿という宿は空きがなく、仕方なく彼らは少しはなれた寂れた旅館に泊まったと聞いている。「なんでや!」その声が向けられる先は当時の私は気づきもしなかったが、その後ふとしたことで理由を知った。そう。SMAP福岡ドームでコンサートをする日程だったのだ。そりゃあ無いな。日が悪かったとしか言いようがない。

私も詳しくは知らないけれど、福岡のSMAコンサートはともかく盛り上がるらしい。むかしむかしに聞いた話で忘れていたけれど、結構本当なのかもしれない。だって、二年前も今年も本当に宿が空いていないから。そういうわけで、今現在、友達の福岡市内での宿は見つかっていない。「なんか裏技はないの?」というメールの用件にお役に立てず、本当に申し訳ない。がんばってー!

さて。おそらく、嵐それに近くなってきてるはずだ。何故なら去年の札幌公演、チケットは取れたけれど、飛行機の手配はぎりぎり。なんたって、北海道の滞在時間が24時間しかない。でもそれはまだいいほうだった。なんと、札幌での宿が無かったのだ。SMAPの福岡のように。本当にまったく無いなんて!!!検索しても検索しても、ホテルは無く。もう私はカラオケボックスかネカフェに行こうと覚悟を決めていた。しかし、一緒に行く友達がどうしてもそれは嫌で、ツテを辿って無事に宿を確保してくれた。ありがとう、ツイッターで知り合った顔も知らない嵐友。

今回の嵐もすでに宿はなく。先に手配だけしておいて本当によかった。どうか当選しますように。

昼顔 9話

早い早い。もう9話かあ。

それぞれの道がどんどん分かれて行く今回。まるで割けるチーズのようだなあってぼんやり思いながら分かれて行く様を見ていた。あれって細い糸のようなものからある程度の太さだったり。それが登場人物の危うさに似ている。

 

今回、ちゃんと追い込む手順や急所を的確に突いてくるサワの旦那の会社女子と、高校教師の妻。追い込み猟に長けている肉食の獣のよう。追い込まれていくサワと高校教師。不倫なんて、なかったことにしようとするサワの旦那の泣き顔。画家カップルは早くも限界を感じている様子。そりゃそうだ。お互いきちんと向き合うと、お互いの重さがのしかかってきて辛くなるから。

 

サワを警察まで迎えに行き、その後不倫先輩が言った言葉は、私にはこのドラマの発表を見たときから思っていたこと。

「昼顔妻なんてどこにもいないのよ」

そりゃそうだ。そんなの、あるわけがない。昼の情事を割り切って楽しんでいる、その一瞬を切り取った様をそう表現するんだろう。誰が?もちろん本人たちが。そう思って一瞬の特別感を感じることによって、後ろめたさを打ち消したいから。

 

サワと高校教師はこのままどこにいくのだろう。いっそ誰も来ないような山奥で隠れるように暮らしたいと思うんだろうか。でもそれはお勧めできない。お互いの重さで沈んでしまうに違いないから。それとも、それさえも彼らの希望する未来なんだろうか。

 

 

 

ローラがなぜ憎まれないのか

今日のモニタリング、ローラが可愛すぎた。かわいいかわいい。私だってお寿司屋さんで会ったら好きなものを食べさせてあげるし、ラーメン屋さんで会ったらラーメンを分けてあげちゃうと思う。

ローラが出始めたころ、私の周りは割と否定派が多かった。ところが、私は始めに見た時からすぐに好きになってしまった。とっても綺麗な、でもまるで子供のような人だと思ったからかもしれない。天真爛漫だけど、ちゃんと気にすることもできた人だったからかもしれない。全然憎めないひと。

今日のモニタリングでは、きっと彼女がお財布を無くしても生きていけるようなそんな結果だった。

なんでだろう。表裏のない性格。自分に正直な発言。人を批判せずに、プラスのことしか話さない発言。そういうところと、決して卑しくならない発言。いつも笑っていて、笑顔が伝染する人。

何気ないけど難しいことだ。

見習いたいな。





続 森くん

この前、27時間テレビを見終わった時に思うことがあって。それもあって、ここをはじめた。

(お断り。この後に書くことは私の想像と感情で書かれています。)

 

私はそんなに深いジャニーズファンではない。はじめに好きになったのはSMAPで、その後だいぶ開いての嵐だったのでブランクがずいぶんあると思う。ただし、kinkiとV6とTOKIOはテレビで好んで見ては、いた。コンサートも友達に誘われ、TOKIO以外は行った事があるのでまあまあ深いのかも知れないけれど。

 

言われだして久しいと思うけれど、J事務所の派閥に関しては自然と耳に入ってきていた。始めのうちは、SMAPというグループが事務所の方針に合わないから出てきている話なんだろうと思っていた。(実際、彼らはあまり事務所のことを話さなかったし。どこかよそよそしかった。)

それがここ最近、派閥と言う言葉が歌番組やドラマなどの話題で聞かれ始め、とうとう歌番組でのすみわけにまで発展していった様子にはびっくりした。

そういった話は、聞くとなんとも寂しくて哀しい思いしかせず、ファンにはなんのメリットもないなあと思っていてひそかに心を痛めていた。だって、それぞれの派閥?で仲良くメドレーとかしたり、プロデュースしたりしてるんだよ?それぞれを見てたら楽しいかも知れないけど、やっぱりなんか寂しかった。でも仕方ないのかなあと思っていた。

 

そんな気持ちでいるときの27時間テレビSMAPがこれ以上に本心を本気を出して頑張った番組だったと思う。そして、フィナーレに向けて、大きなサプライズがあった。森くんからの手紙だ。ほんとは出てくれるんじゃないかとどこかで期待してた。最近の彼がオートレース界の広告塔になってテレビに出るようになっていたからかもしれない。でも、今回はまだ、手紙だった。

そう、まだ。私はそう思っている。

何故なら。私にはどうしてもSMAPが森君を取り戻そうとしているとしか思えなくなってきていたから。あの引退後、森くんはテレビの中のSMAPから抹消された。不自然なくらい、こちらが受け入れられないほどの極端さで。私たちが受け入れられないのは、まるでいなかったように扱われたことに対してだったと思う。私たちでさえそうなんだから、SMAPはもっと事務所かテレビに不信感を募らせたんじゃないかと思う。そんなこと、おとなしく聞くような人たちじゃないし。笑。もちろん、ファンが悲しんでいるのも知っていたと思う。そっちのほうが彼らには堪えたかもしれない。じゃあどうするか。まあ、実際に森くんを取り戻すのは元より無理で。彼は自分の意思で辞めて行ったのだから。でも、せめて彼がいたころの映像でのカットや、話題にできないといったタブー感は払拭したいと思ったんじゃないんだろうか。自分たちのファンの為に。それには彼らが力をつけるしかなかったんじゃないんだろうか。事務所内での位置を確立し、発言権を持てるようになり、テレビ側にも発言したり。長く長く長く長く、時間をかけて信頼と信用を集めたんじゃないんだろうか。その副産物としての派閥なんじゃないんだろうか。そう思えて仕方ない。でもそれって嬉しいしすごいことだけど、やっぱり哀しい。

 

ここに書いたことは100%私の想像で、本当のことなんてまったくわからない。

 

でもやっぱり早く派閥がなくなって競演をしてみんなでわいわいと騒いで欲しいと思うので一日も早くその日が来ることを祈って。

 

若者たち2014 8話

リベンジポルノ。

昔からこれは問題になっていたはずだった。

でもこれがもっと大きく広まり絶望的にならざるを得ないのは現代だからか。

モバイル。クラウド。たかが四文字。だが、画期的に便利になったものを現す四文字。

便利なものには必ずリスクがあると私たち大人は改めて学ぶべきだし、子供にも教えなければならない。

無知は罪。

無知のみを責めるのではなく、無知を作った側も責めを負うべきだ。そこに当然私も含まれるべきだと思う。

 

末っ子は早く、保育器の中にいる姪っ子を見に行くといいと思う。

生まれたときから背負わされた「母の命と引き換えに産まれ落ちた」ということを、ただ迷惑で済ますのではなく、その目でその意味を確認し、いかに命というのが危うく、つなぎとめることの難しさや、生きているということが奇跡なのかを身をもって知るべきだと思うから。

そうすれば、この奇跡のような人の生というものに、自分がしてしまった重大さを認識するだろうし、自分が死ねばいいんだろう、という言葉も二度と言えなくなると思うから。

 

でも彼がこうなったのはやはり、彼ら家族が全員外を向いていたからということもあるんだろう。最近そういったものが、彼らの中になくなりつつある。みんながきちんと家族全員をみつめはじめた。

妹は兄と弟を見ていたがそれをつなげることはなかった。何故なら、自分に目が向けられると後ろめたい恋に気づかれてしまうから。後ろめたくとも、絶対に手放したくない恋だったから。自分を救ってくれた恋だから。でも、それは恋でなくても救われたはずだった。それが恋になってしまったのは相手の弱さ、寂しさやお互いのエゴからだけだった。

長男は、親として彼らを見ることだけに専念し、妹弟たちの中を見ることはできなかった。

彼にはそこまでしかできなかった。子供の自分を置いてけぼりにして親代わりにならざるを得えなかったから。余裕もなく、兄としての自分が親として弟妹の中を見ることはやはり難しかったから。兄としてみればいいだなんて、誰も教えてくれなかったから。

ムショ帰りの次男は、誰にも絶対に見られたくない知られたくない自分を隠し続けたかった。しかし、案外三男にバレていたというほころびから、すべてを解き見せてしまった。そのために起こってしまった弟妹の変化に心を痛めているのは彼で、だからこそ彼は一番兄弟妹を見ている。でも、見ているだけだった。どこかやはり後ろめたさがあったから。

劇団の三男は、一番上手く生きていけそうな人間だったかもしれない。でも頭が良い分、いいわけも上手くなってしまった。弟が好きだった彼女を奪ったときも、脚本家と女優だから、と誰にも文句を言われないであろう言い訳を持っていたはずだった。弟以外には。賢い彼だったら、そんなことは百も承知だっただろうに。

 

そんな彼らがお互いを見て、ぶつかり合い、理解しあい、支えあう。

知らないことを教え、教えられ、気持ちを共有する。

病めるときも健やかなときも喜びも悲しみも共に分かち合う。

そんな日が訪れることを祈って。