来るべき時がきたのか

のんきに外出先から帰ってきた私の目に飛び込んできた文字があった。

SMAP解散。

 

・・・は?

・・・・はぁ??!

 

疑心暗鬼で飲み込んだこの事態は、意外と早く展開した。そう。事務所からの発表。これは解散がガセではないという完全な肯定であり、決定事項だった。

 

正直に言えば1月の騒動後、活動休止までは予想して覚悟していた。でも楽観視してたのは確かで、浮かれたものを書いていた私もいる。だって、物事がいい方に進むと信じた方がいいと考えてるから。誰一人いなくならないでほしいと思っていたし、そういう気持ちを彼らは知っていると思ったから。ただ、そこからいつまでたっても事態が好転している様子は見えなかった。そしていつしか、覚悟は決めていた様な気がする。その時に向けて。

 

そして迎えたこの日。

 

本当に、解散しちゃうんだろうか。一緒に活動できないって、そんなところまで来てしまっていたのか。我慢して五人でいて欲しいわけなんかじゃない。五人で納得して解散を決めたんだと信じたい。自分達らしく生きるには、もうこれしかないと苦渋の決断したんだと信じたい。

だとしたら、もう年末まで五人が揃ったところは見れないんじゃないんだろうか。五人でいるのが難しいなら、そういうことなんじゃないんだろうか。

 

解散しないと信じて待っていたファンは本当に辛いと思う。ある日急に目の前から5人が消えてしまうんだよ。2度と揃わない。それが辛くないわけがない。辛すぎる。自分に置き換えても、辛い。

 

でも。未来なんて誰にもわからない。解散を撤回してもいいんだよ。再結成してもいいんだよ。すぐじゃなくてもいいんだよ。その確率としては、とてつもなく低い可能性に私は長い目で期待していきたいと思う。再結成したバンドを幾つも見てきたから。

 

だから帰ってきてほしい。

今は見送ることしかできないけれど。

 

 

 

 

雨降って地固まる

昨日書きかけで消してしまったSMAPに関してのタイトルをまさかの松本人志さんが使っていたとは。と驚いてしまった今日。
私が思っていたことを言っていただけて、スッキリし、そして爆笑問題太田光さんの言葉も私の思っていた事だったので、スッキリ。

そう、そうなんですよ!
本当にそうだと思います!!

すごーーーく気の早い事を言うけど。
私には、もう今年がジャニーズ事務所派閥解体元年になり、SMAP25周年をみんなでお祝いするお祭りになる予感しかない。(KinKi Kidsの20周年も組み込まれてもいいんだけど、彼らが遠慮しいっぽいからどうだろう)

私が一昨年書いた派閥解体の夢はこんなに早く叶うなんて。嬉しいな。本当に嬉しい。(何回も言うけど気が早いな)

確かにSMAPには屈辱的な出来事だったかもしれない。見せしめだと言われた生放送、ブラック企業と言われても仕方ない記事が世の中に出てしまった。本当に心が傷んだ。でもそれで私はあの事務所の膿が出たような気がした。最悪のタイミングだったけど、もう出すべきだった。SMAPだけではなく、誰もかれもが辛かったし泣き叫んだ人もいたと思うし、耐えられなかった人もいると思う。本当にあの時が最悪。
でも、そうやって膿を出てしまった後って、ちゃんとすれば傷は治るのだ。傷口は綺麗になっていくのだ。時間はかかったとしても。

そしてその先に、事務所全体がこれを機に改めて固まろうとしているような予感がしていたりもする。

鶴瓶さんの
SMAPSMAPだけのものじゃないと気づかなければいけない」
「事務所への皆さんの声(要望)って大きいんです」
という言葉や。
嵐の、何故か今になっての原点回帰コンサート。

そんな事柄でそんな予感がしただけなんですけど、期待してもいいよね?しちゃうよ???お願いしますよー。(*☻-☻*)
みんなでワイワイ楽しそうにしてて欲しいんですよ。ファンたちは。
グループ関係なく、年長組はヤンチャな昔話をし、年中組は目を輝かせながらその話の先をねだり、年少組はそんな先輩の話を緊張しすぎと世代の違いでポカーンと聞く。あー、なんて楽しそうなんだろう。いいなーそういうのって何時間でも見れるなー。

SMAPも、あんなに騒がれ裏読みされた生放送をして派閥解体のきっかけになってくれたんだから、その功を労ってあげてほしい。事務所全体でお祭り騒ぎになる位お祝いするのってどうでしょう?いいアイデアじゃないですか??
もういいよ、分かったよ!!!って逃げ出すくらいに先輩同期後輩から祝われてほしい。

その為だって思いたい。
そしてありがとうって言いたい。
この騒動に関わった全ての人たちに。なんだったら発端となった新聞、雑誌にも。

そして飯島女史。
本当かどうかわからない話などで勝手にあなたの事を一時は嫌だなと思ったりしていました。ごめんなさい。
そして、これは事実だと思いますが、あなたが頑張って切り拓いてくれた道には、たくさんの希望がありました。そこで頑張ってくれたSMAPを支え続けてくれてありがとう。だからこそ、後輩たちはその道に進んでいけるんです。私たちも応援させてもらえるんです。
本当に感謝の言葉しか出てきません。
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。


華麗なる逆襲を待ってる

さーてさて。
ってこんな軽い口調で話す事が、果たして正解なのかどうかわからないけど。
スマスマの生放送から一晩経ったので、自分の気持ちや思考を整理するためにも書いていこうかなと思う。

結果からいうと。
彼らの口から話してくれることが私たちの全てだ、っていう事には変わらなかった。ハッキリしない、わからない、そう思うのはそれが今の彼らのいま現在の心境であり、現状なんだろうなあと思った。ハッキリしないし、これから先が分からない。そういう現状なんだろうなって私は理解した。だから個々の話す内容が明確になってなかったんじゃないのかなあ。ハッキリ話せることが何もなかった。ただそれに尽きるんじゃないんだろうか。それでも彼らは生放送に踏み切ってくれた。それが誠意なんだと思う。分かりません、っていうために番組の枠を開けて生放送で五人揃って。それを誠意以外の何と表せばいいんだろう。

解散に対して明確な答えを求める人は自分がスッキリしたいだけなんだろうと思う。五人の葛藤や気持ちは知った事ではない。自分がスッキリしたいだけなんだ。そう言われているようで、わたしはそういう人たちが随分暴力的に思えた。
責任を明確にして何かにて押し付けようとするのもなんか違うと思った。押し付けて何が解決するんだろう。結局は悪者をハッキリさせて怒りを爆発させて自分がスッキリしたいだけなんじゃないんだろうか。ちなみに、くだらないアンチがtwitterで騒いでいるのはハッキリ言ってくだらないなあと思って見ていた。

白黒つけるのは実は簡単な事だった。中居くんが真ん中で「SMAPは解散しません」とひとこと言って、他の4人がそれに頷けばいいだけだ。おそらくこういう事を望んだ人は多かったと思う。

でもそれが彼らの出した答えではなく、ただ私たちに対してだけのパフォーマンスだったらどうだろう。言うなれば優しい嘘だ。みんなが世間が納得するようなものを彼らは用意できるし、しばらくはいいだろう。でもそれで本当にいいのか?


話はここで嵐にそれる。
嵐は一昨年、15周年だった。いろんな番組でお祝いしてもらったり、ライブもハワイという華やかな舞台で行われたりもした。それは5人の結束がぐっと強まっていったようにも思えた。この年はそれぞれに思うことがあったようで色々と聞いたことのない話が出たりもした。その中で、大野くんが10周年を迎えて嵐を辞めようと思っていた、と告白したのだ。正直本当にびっくりした。10周年は大野くんの初の個展も開かれたが、あれは彼の置き土産のつもりだったんだろう。
私は5周年を迎えたあたりでファンになり、彼が脱退を考えていた時期は本当に嵐のライブが楽しくて本当に幸せだった。五人もすごく楽しそうでどんどん知名度が上がっていった時だったので、まさかその時期に、と思って本当にびっくりした。そして傷ついた。大野くんが辞めたいと悩んで答えを出していた時に私には何も見えていなかった。楽しくて幸せで、きっと彼らもそうなんだろうって勝手に思ってた。私の目なんてとんだ節穴だ。そう自分を責めて、しばらく嵐を見るのが辛かった。幸せそうに見えたって人間わかんないもんだな。当たり前のことなんだけど、今更ながらにそれは私の教訓になった。


そういう事をSMAPにさせていいのか。
事情や原因は全く違うけれど、困難な時に笑顔で大丈夫だよ、って言われるのが本当にいいんだろうか。大変な時、困難な時、辛いけど先も見えないけど一緒に乗り越えていこうって、俺を信じて付いてきてくれって言ってもらったほうが絶対にいいんじゃないんだろうか。

私は絶対そう思う。
どうかSMAPはこの現状を乗り越えて、私たちも後輩たちも引き連れて、華麗なる逆襲をして欲しい。
どこに、誰に、っていうのではなくこの曖昧な現状を招いた全てに。
(私は誰も謝罪しなくていいと思ってる。起こるべくして起こった事だとも思ってるから。)


何処までもついていく覚悟も、待つ覚悟も、背中を押す準備もできている。


いなくならないでほしい

目下、私の最も気になる事案。
そう。SMAP兄さんたちの事。本人たち全員の言葉が発されていない以上、彼らの総意はわからない。
でもファンの総意は一つだと思う。

ここからいなくならないでほしい。

それに行き着くんじゃないだろうか。5人で歌うところを私たちにまだ見せてほしい。それは世間の皆さんにはわからない感覚かもしれない。でもファンにはそれが全てなんだと思う。個々での活動も素晴らしいと思うし、彼らにしかできないのかもしれない。でも、ちょっと厳しいことを言ってしまえば替えはいるのだ。別の司会者、別の俳優、別の人たち。

でもSMAPたらん、となる時にはあの5人にしかいない。鶴瓶さんもあの番組の最後で言ってくれていた言葉は、おそらくそういうニュアンスで言ってくれてたのかもしれない。なんて気遣いの人なんだろう。なにもなかった時に聞いたとしても心に響き、何かあった現状の私たちの心には優しく染み込んで奮い立たせてくれた。
そうだ、かれらにはいなくならないでほしい。
そう気づかされた。

ラジオでコメントを出した別の方とは大違い。私たちは今その経過を聞きたいわけではないのだ。その人がどう感じてどう行動したか、とかはどうでもいいのだ。(まあ、あの人は自分の話をしたいだけのひとだから。)

事実はいずれ明かされるべきであれば明かされる。そうでなければそれはひっそりと姿を潜めるのだ。

どうかどうか。お願いします。
いなくならないでほしい。

嘘でもいいから、とは思わないけど。




4作目

雨の休日。読み終えないといけない本が溜まっていたので1日中読書していた。

読み終えた本の中に「傘を持たない蟻たちは」があった。NEWSとしてまた作家として活動している加藤さんの4冊目の著作。発売してからずいぶん時間が経ってしまった。そして今回は初の短編集。表現の幅もぐんっと広がっていて、本当に面白かったと思う。そのうちの何作かは私の好きな星新一さんの雰囲気を思い出すような話もあって何だか懐かしかった。あの答えを出さないような感じが子供(中学時代くらいかな)ながらに、とても好きだったことを思い出したりしながら読み進めた。

気まぐれで読み始めた彼の作品も4作目かあ、となんだか感慨深かった。きっかけは本当に些細な興味と。新しく読むものを求めていた私のタイミングがたまたま一致して。そして図書館ですぐに借りられたというラッキーも重なってだった。
正直にいうと、一作目は非常に読み難くてちょっと苦戦した。毛羽立った安物の紙に使い古された万年筆の古いペン先が引っかかってガリガリとなかなか描き進められないかんじで苦労しながら読み進めたことを思い出す。合わないのかなあと思ったりもしたけれど後に、あれは短い期間で書いてきなさいと言われた上での初めての作品だと聞いて納得したのも覚えている。それぐらい、荒げずりのまだ何も整っていない文章だった。
それでもそこから2作目、3作目と進むうちにみるみるうちに読み進むスピードが変わっていった。安物の紙があっという間に上質な紙に変わり、ペン先も滑らかな書き心地の新しいペン先に変わっていった。どんどんのめり込むように読み進むことができて、あっという間に物語の中に入り込んで行く。気付けば登場人物に共感していき、同じように苛立ったり泣いたりするようになった。そして次作を楽しみにするようになった。これってもう、私の好きな作家さんと同じじゃないか。そう自覚した時に、彼はもう私の中で好きな作家さんとしてインプットされた。

私は、彼が筆を持ったきっかけを青臭くて好ましいなと思っていた。グループの存続やその為の貢献方法。自分以外の、仲間やファンのためという所がとてもいいなと思えた。
(NEWSが今新しい形で結束しているのはそういう事も一因かもしれないと想像したりもする。)
小説の執筆だなんてずいぶんと無茶なことを。と当時感じたことを覚えている。小説家は彼以外にも掃いて捨てるほどいるし、何より、今は読書離れという業界自体が危ぶまれている状況だったから。
でも彼はそれを突き進んで行った。一年に一作のペースで、レベルをどんどん上げていきその結果、映画化やドラマ化もされることになった。彼のアイドルとしての立場や、それ以外にも色々とあるんだろうけどそれでもこれが現実だ。きちんと彼の行動が届いている証拠だ。

彼が書くことを始めたきっかけが、グループのためだった。
今はどうなんだろう。
自分のために書くようになっているんだろうか。
苦しくて辛くて止めたいけれど、執筆の楽しさでこれからも書き続けて行きたいと思っていると嬉しいな、と作家・加藤シゲアキのファンである私はそう思ってしまう。








隣の芝生

申し訳ないけれど、彼は隣の芝生の人だ。24時間以上経ってもなお、一部の人が激しく動揺してしまうような発言をしてしまった彼。

彼の人生だ。好きにすれば良い。ただ、彼は一人ではなかった。沢山のひとに囲まれて、愛されていた。その気持ちは、好意は、彼にとって重荷だったのだろうか。人生の邪魔になったのだろうか。

この好意が邪魔だったのではないかと、彼のファンはずっと苦しむだろう。

理由がどんなものであれ、言うべきだと思う。辞めることを口に出して自分がスッキリしたのであれば、悲しむ人にも落とし所を明らかにするべきだと思う。

謝ることを言葉で表して誠意とするより、よっぽどの誠意ではないか。私はそう感じている。

どうか、あなたを応援し愛した人たちに優しくしてあげてほしい。これ以上辛い思いはさせないでほしい。

田口さん。


真面目な人

最近の習慣として、アイロンがけの間に岡田准一さんのラジオを聴くようになった。前から時々聴いてたけど、彼の番組のゲストはジャンルが多岐にわたっていて、とっても面白いなあと思う。それに岡田氏の声は、とっても柔らかで聞いていて耳に心地よく、優しい気持ちになれる。(朗読とかやってほしいなあと思うけどやってるのかな。)真面目な人柄が出るような、穏やかな話し方も聞いていて落ち着く。


その日はちょっと楽しみにしてたピエール瀧さんゲストの回だった。

電気グルーヴというちょっと変わったバンドのメンバーで、ドラマにもバラエティにも顔を出す、なんだか枠にとらわれない人だなあと思ってた。


そんな瀧さんへ目標はありますかと尋ねた岡田氏への返事として、目標を持たないというポリシー、いやスタンス、生き方を彼は話しをしてくれた。ちょっとその答えに意表を突かれたような岡田氏は、その反対を望まれて、自ら選んで生きてきた自分とかけ離れているなと感じただろうか。私にはなんとなくそう聞こえた。対話が進むにつれて二人の「人となり」というものの相違が浮き彫りになってきてたように感じられて非常に面白かった。

瀧さんは「目標を持って生きるっていうことはいらないものを手放すこともある。でもそのいらないものの中にも価値のあるものがあると思う」という(ニュアンスで申し訳ないけどそういったことを)話していた。個人的な意見だけど、私も似たように考えていて、全く無駄なものなんてなくて、どんなことにでも何かしら価値のあるものがあると思っていて。もし100%自分に価値がないものだったとしても、それが私にとって価値がないという経験値が積める。確かに手間も時間も体力も使うだろうけど、そういった経験値というものはかけがえないものだと思う。瀧さんが言ってることっていうのはそういうことだと思うし、更にいらないもののなかから価値があるものを見つけるっていうのはセンスがいるんじゃないんだろうか。彼がセンスがある人って言われるのはそういうところなんじゃないのだろうか。そう思わざるをえなかった。

もちろん、私はどちらでも良いんだと思ってる。ただ、もし目標に向かって進む時にいらないものを捨てる人には、たまには捨てないことにも目を向けても良いんじゃないかと思ってる。捨てない人にはたまには捨ててみても良いんじゃないかと思ってる。

世の中には目標を持たないと生きられない、という人と持たなくても生きれる人がいて。
それがどっちが良いとは言えないんだろうけど、瀧さんや私は後者のタイプ。岡田氏は前者のタイプ。
どっちが幸せとかじゃない。ただ人としてのあり方。ただそれだけ。



肩の力を抜いて人生を楽しんで生きているような瀧さんの話の途中で、岡田氏はこう問いかけられていた。
「楽しんでる?」
この問いかけに、とっさに、でもおそらく一瞬の躊躇の後に「幸せだなと思います」と岡田氏は答えた。その答えをらしいなあと思いつつも、それは決して「楽しいか?」という質問にまっすぐは答えてないよなあと感じた。そしてその答えは彼らしい真面目な答えなんだろうと思う。

でも幸せっていう返事は、どこかよそよそしい。
楽しいって言葉の方が実感が湧いてくる。

なので出来れば、
「楽しいですねえ!大変ですけども。」
ってニコニコ笑いながら答えてくれる人生を過ごせるようになってほしいと思う。

ちょっと彼は真面目な人すぎるから。